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「小難しさ」の功罪、「大衆」との手のつなぎ方

トランプ大統領の誕生、

フランス極右政党国民戦線の躍進

 

こういった出来事を例に挙げて、世界の右傾化と今後の情勢を憂慮する声は世界中に広がっている。とはいえ、強権的な統治者・後ろ向きな政治を望んだのは、疑いもなくそれぞれの国民なのだ。時の権力者が保守的、さらに言えば排外的な政策を打ち出したとしても、そういった政権が大多数の大衆によって担ぎ上げられていることを忘れてはならない。

ポピュリズム」に基づく権力の登場を危惧する意見は随分前から出てきている。古くは、100年近く前にオルテガのような哲学者が大衆の愚昧さとファシズムの台頭を批判しているのだから。

 

ところでこの「大衆」とは本当にバカなのか?どこかのテレビ局の前社長が言っていたように、一般人は無知蒙昧だから「選ばれた存在」であるテレビマンが彼ら彼女らを導いてあげなければいけないのか?

最近ルソー研究者の友人と話した時に知ったのだが、ルソーは大衆を「子供のように純粋無垢な存在」と定義したそうだ。確かに、一般に人は目の前に出された物事に飛びつきやすく、なんでも真に受けようとする傾向がある。

流行りのものを追い求め、世界のどこかで誰かが被っている不条理・不正義を知ると感情に流されて涙を流す。そしてデマや扇動に流されやすいところもある。

 

前述のトランプが主に貧困層の支持を得た背景には、シンプルな表現を用いて聴衆の心に入り込む演説を意識したからで、反対にヒラリーは専門的な用語などによって演説を小難しくしてしまったところに敗因があるという。

「一般に人は中途半端にしか推論しない」

ヴォルテールの言葉だ。

衒学的な話し方、小難しさは人を遠ざける。本当に伝えたいことははっきりと、そして単純に表現するべきだろう。それは政治でも、ビジネスでも、はたまた人間関係でも同じことだと思う。仲間内でしか伝わらない言葉に力は無い。

振り返ってみると、謙虚さと共感力こそ人の心を掴むようだ。

 

外に出て人と語りあおう。